11月 6日(金)遠州公所縁の地を巡って

2015-11-16 UP

11月  6日(金)遠州公所縁の地を巡って
「遠州の四年詰め」

ご機嫌よろしゅうございます。
寛永十九年(1642)六十四歳の十月

将軍家光のお召しに応じ、お茶を献じます。
これより正保二年まで足掛け四年江戸に
留まったと言われています。
世に「遠州四年詰め」と呼ばれています。

しかし、近年この四年詰めでは、
茶の湯の指導者としてだけでなく、
優れた官僚としても手腕を発揮していた
ことが分かってきました。
当時全国的な飢饉にみまわれ、その対応に追われて
いた幕府は、知恵伊豆と言われていた松平伊豆守信綱を中心に、
畿内の農村掌握の第一人者であった
遠州公を寛永十九年五月二十一日に寛永飢饉対策奉行
として要請し、連日評定所にて協議を行いました。
それにより、飢民の救済、根本的な農村政策の立て直し
のための法令立案などが次々と行われていきました。

江戸に留まる間、遠州公は各地の数寄大名の
求めに応じ、その綺麗さびの茶を伝えたと思われます。
幕僚としても茶人としても、
遠州公の名は今まで以上に広く知られることと
なったのです。