遠州公縁の茶陶「高取焼」

2018-6-15 UP

ご機嫌よろしゅうございます。
高取焼は遠州公の指導を受けた窯の一つとして挙げられます。
これは藩主黒田忠之の茶の湯への傾倒のみならず、
茶の湯の持つ政治的価値と、自国の高取焼の名を高めることが
御家の存続に有効であるとの考えから、
当時の茶の湯の第一人者であった遠州公に指導を仰いだと考えられます。
忠之公は焼きあがった高取茶入を相当数遠州公の元へ送り、
その監修を依頼しています。そして遠州公は上中下などの格付けと、
特に良いものについては蓋袋を誂え、よそへ進物として使えるか
どうかなどの助言も言い添えています。
その中でも「横嶽」はもっともよい仕上がりで、以前に焼かれた
「秋の夜」「染川」より優れているので、割捨てなさいとまで
忠之宛ての書状に記しています。
この「横嶽」についての書状が送られているのが、正保三年。
翌正保四年(1647)2月6日遠州公は亡くなっています。
遠州公没年の間際に遠州高取が様式的に完成の域に達したと考えられます。