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茶の湯日記

花不用(はないらず)


 一年の流れも早いもので、一月・二月・三月とあっという間に時間が経過してゆく。 「小堀遠州 美の出会い展」も、東京から名古屋そして最終展示の場所である神戸へ と所を替えて開催された。おかげ様で各会場ともに盛況で、またその内容に対しての 評判も良好のようで、私もほっと胸を撫でおろしている。

 あらためて遠州公という人物の良さ、偉大さに子孫として、また一人の茶の湯者と しても頭の下がる気持ちである。と同時に、私自身もっと頑張らなければ、遠州の築 きあげたものにさらに上のせをしなければ、という気持ちが強く湧き上がってくるの が現在の心境である。

 さて、二月に催された天神茶会では、古伊賀の花入中でも屈指の一つであると言わ れる、「芙蓉」がその床の間に登場した。所持者であるところのお席主が、父のため に特にお持ち出しになられた、心入れの逸品である。

 御承知の方も多いかと思うが、かつてこの花入を愛蔵した、益田紅艶(鈍翁舎弟) が「この伊賀に 上野あるかは志らねとも 花は不用と人は云ふなり」と狂歌を一首 詠じ、箱の蓋裏に記し賛美しているものである。力強くもあり、こげとビードロ、造 形全てにおいて他の類をみないこの花入には、花はいらないという意味である。故に、 花不用(はないらず)と世に声価が高い。そしてそれに因んで芙蓉と名付けたという、 銘名の逸話も楽しい。

 その花不用に私が花を入れる事になった。大変名誉な事であるが、一方、不似合い な花を入れる事は出来ない。実際に前日実物を拝見すると、思った以上の迫力であっ た。私は以前に二度ばかりこの花入を拝見する機会があったが、こんなに近くて、し かも手に取ってという事はなかった。お席主やお手伝いの方々も、どんな花を私が入 れるのかときっと思われているに違いない。花入に対峙している私の背中に何となく 皆さんの気持ちが伝わってくる。

 実はこの花入には、もう一つエピソードがある。かつて私は父の相伴で、ある茶会 に出席するとそこで芙蓉が使われていた。その時あまりふさわしいと思えない花が入っ ていた。父はおもむろにその花を抜き、これは花いらずですね、と言ってその場をな ごませた。そんな記憶もよみがえらせながら私は芙蓉に向かっていた。何ともいえぬ プレッシャーである。一方いくら花はいらないと言われようが、花入は花あっての物 であるという気持ちもあった。そして大体見当をつけ翌朝を迎えた。

 私が選んだのは紅梅と加茂本阿弥椿である。どちらの花材も花入の強さに負けない ものを用意した。そして自分の気持ちにもう一度力を込めて入れた。その時のすがす がしさは何ともいえなかった。

 そしてそれはこの花入の歴史に、かつて花を抜きとった父親があり、その息子は花 を入れたという父と私の関係でしか成り得なかった親子水入らずの新しいエピソード が加わったという嬉しさに満ちた瞬間でもあった。


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