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茶の湯日記
深き縁 〜矢島町にて〜
いよいよ本格的な夏が到来する。今年は昨年よりかなり暑くなるようである。体調
の管理には万全を期してのぞみたいものである。
この五月中旬から六月にかけて、私自身かつてない程の過密スケジュールが続き、
出張が多かった。五月十二日に例年の如く京都大徳寺孤篷庵遠州忌茶会のため出張し
て以来、十四日に一旦帰京、翌十五日早朝、同じく大徳寺山内の徳禅寺開山忌法要の
献茶式に再び京都へ向かい、ご奉仕の後、そのまま大阪伊丹空港から青森へ出発。十
五〜十七日まで弘前支部担当の全国大会が盛大に催された。二十日には、翌日の金閣
寺での献茶並びに茶会の準備に三度び京都を訪れた。二十二日帰京し、二十四日には
福岡へ出発、到着後そのまま直方市へ行き、この秋福岡県で行われる国民文化祭に遠
州流として参加するプラチナの茶室の建築視察をした。今まで誰も目にした事のない
茶室の完成に夢がふくらんだ。二十五日に飯塚市青年会議所シニア大会のゲスト講演
をつとめ翌日には名古屋へ。二十七日一度帰京し、二十八日には大阪へ出発。二十九
日に東京へ戻り、六月一日には四度び光琳乾山茶会のために京都へ旅立つ。二日帰京
し、四日からは秋田県矢島町での記念行事に招かれた。
こうして振り返るだけでも、まことに目まぐるしい日程であった。身体も疲れては
いるが、私を支えるのは、家族や宗家事務局そして全国門人の方達のサポートと、そ
して何より、「茶の湯を通して心を豊かにする」という信念である。
さて間近の出張の矢島町立町百十五周年記念行事についてだけ、少しご報告するこ
ととする。
矢島町と遠州流の関係は、流祖遠州公の時代つまり江戸初期にまで遡る。元来、四
国高松の讃岐藩主であった生駒家は、一六四〇年に出羽国矢島に移封された。この時
の藩主高俊公の母親、つまり生駒家三代目正俊公の正室は藤堂高虎の養女であった。
藤堂高虎は、ご承知の通り戦国大名として名をはせ、津藩三十二万石の大大名である。
と同時に、十九歳の遠州公が結婚し、めとった妻が、やはり高虎の養女であった。従っ
て小堀家と生駒家は、遠州公の時代に浅からぬ縁で結ばれていたのである。
このご縁から今より二十二年前父と私が秋田を訪れた際、現矢島町長・佐藤清圓氏
と知己を得、以来町長及び町民の永きにわたる思いがこのたび結実したのであった。
献茶式は、生駒家の菩提所でもある龍源寺であった。龍源寺は元和九年に建立された。
この年は遠州公が終生の役職となる伏見奉行を拝命した年でもあった。
このように幾重にも重なる因縁が今回の出張を意義深いものにしたのである。献茶
ご奉仕を勤めおえた後、秋田の誇る鳥海山が美しく雄大にその姿を見せていた。その
時、私の心に一首が思いうかんだ。
矢島町立町百十五周年を記念し
龍源寺献茶奉仕をつとめ 鳥海山をながめて詠める
四百年の深きえにしを受け継ぎて
あらたにちかうや永遠のちぎりを
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