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茶の湯日記
衣更え
古くから水無月は衣更えの季節といわれている。襖をはずし、簾戸に替え、着物も
袷から単衣になる。風炉の灰も真から行にといった具合に見た目にも気持ちにもつま
り心身ともに変化をもたらすのである。
遠州流では帛紗も夏用の絽のものを使用する。常の帛紗さばきも、着地が透けて、
いかにも涼やかな気分になってくる。茶の間の軒先には、風鈴がさがり、縁先には蚊
取り線香が煙をくゆらせる。何ともいえない夏の風景である。こういった季節と共に
気持ちを切り替えてゆく日本人の生活習慣にある知恵と工夫を大切に残してゆきたい
ものである。
といっても、「ではマンションの一室ではどうするのか」という声が聞こえてくる。
だからこそ、工夫なのである。季節の到来も、日本列島北と南、東と西ではかなり異
なるのだから、あとはそこに暮らしている人自身の心の持ち様である。
その意味では、茶の湯の世界にはいっぱいヒントがあるはずである。気付くか気付
かないか、見えるか見えないかは、それこそ千差万別、各人各様である。目に見えな
いもの、そこに無いものから何かを見い出す、その力を養ってゆきたいものである。
しかし固定概念にとらわれては生まれるものもないであろう。基本とは新しいものを
生み出すためのもの、常に自由な心を持っていただきたい。
茶の湯が何百年も伝えられてきた最大の理由はこの事である。型があるから、型破
りもある。そこの所のバランス感覚が一番大切ではないであろうか。私たちの流祖・
小堀遠州という人はその感性が特に長けていたと思う。
師匠の織部は利休の茶の湯を脱却するために、破格を生み出した。その心意気を継
承しながらも遠州はそこに品格というものを加えたのである。王朝文化や雅の世界、
世界的な視野を総合化した遠州の茶は「綺麗さび」といわれている。その流れを汲む、
そして学んでいる私達はけっしてその心をわすれてはいけないと思う。
さて話をもう一度衣更えに戻そう。最近の季節の変わり様では、とても六月までは
待てないというのが現実である。気温の上昇を考えれば、五月に入れば、その年の様
子によって単衣にかえてもかまわないと思っている。この辺が、今の呉服関係者はもっ
と思いきってもらいたいと思う。単衣の着物を着ていただく事が大切なのであって、
形やデザインばかり変えても意味がない。そういうところが、よくわかっていないと
思っている。衣更えをするという本当の意味を知る事、その発想こそが大事なのであ
る。
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