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茶の湯日記
歴史的一服
去る五月五日、端午の節句の日、私は石川県金沢市にある宝円寺において催された「
加賀梅鉢茶会」で濃茶席を担当した。宝円寺は加賀百万石大守前田家歴代の位牌をお祀
りしてある名刹であり、当日は前田家十八代当主である前田利祐様も参会されるとうか
がっていた。
流祖遠州と前田家三代利常公、四代光高公との親交が深い事はすでに有名な事である
。利常公、光高公は茶の湯の上では遠州の門人という立場にあり、一方、遠州が幕府の
作事奉行などを勤める公職の上では、よき理解者であり後援者でもあった。
元和九年(一六二三)の十二月に伏見奉行を拝命した遠州は新しい奉行屋敷の建築に
寛永元年(一六二四)年に取りかかり、翌二年の七月にその完成を見た。直ちに奉行就
任および新屋敷披露の茶会を計画して、八月二十六日からおよそ三十回催している。そ
の第一回に招いたのが利常公であった。
私自身の経験上からも言える事であるが、初回には、亭主自身にとって大切な人を迎
えるものである。従ってこの時、遠州にとって利常公がどの位大事な人であったかは想
像に難くない。
利常公がある時、遠州に茶の湯の根本とは何かを質問された事がある。その時遠州は
「茶の湯とはそんなに難しい事ではなく、私が密かに思っているのは、朋友の交わりで
す」と答えている。また道具や茶席、露地などに細かい規則があるか、という問には、
「それは人に教えるために目安として設けてあるものであって、客により亭主の工夫あ
る事が大切である」と答え、利常公はその遠州の答に感心したという話が残っている。
また光高公においては、台子点法をはじめ、床飾り、炭点法や灰、茶花など茶の湯全
般の細部にわたり質問をし、その都度、遠州は丁寧にお答えし、最後には「もうお教え
する事も無い程に達した」と言ったといわれている程、熱心であった事が記録の上にも
見られている。
さて当日はまさに雲一つない五月晴の清々しい日和となり、この日のハイライトであ
る十八代当主に私自身が一服差し上げる席となった。
あの寛永二年から数えて三百七十八年目の事であった。前田様は、一口めし上がり、
「大変おいしい」と言われ、私は何とも言えない喜びを感じていた。続いて「伏見の茶
会から随分と年月が経ちましたね」と感慨深げにおっしゃった。
当日、私は前田家と小堀家にゆかり深い道具組みをして、おもてなしをしていたので
あったが、それよりも、前田様の一言がうれしかった。時空を超えるとはまさにこの事
であろう。そして茶の湯の楽しみはこういった歴史を自分自身のものとして受け止めら
れるという事を再確認した一日であった。
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