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にぎわい草
式子内親王
玉の緒よたえなばたえねながらへば
しのぶることのよわりもぞする
人しれず秘めていた恋に、もうこれ以上は堪え切れなくなった。しかし、もしも人
に知られることになったら、それは死ぬしかない、せっぱつまった、堪えきれない気
持が、いかんなく表現され、絶唱ともいえる、心の底にある恋情をそのままに、見事
に詠じている。
忍ばねばならぬ恋に、わずらい苦しんでいる、私の命よ、絶えてしまうものならば、
はやく絶えてしまえ、このまま生きながらえているならば、堪え忍んでいる心も、そ
のうちに弱ってしまい、この恋も人に知られてしまい、浮名を流すことになるであろ
う。それくらいならば、いっそのことこのまま、この苦しい恋を胸に秘めたまま、死
んだほうがましであろうから。死んでしまいたいから。
玉の緒は「霊(魂)の緒」で命・生命で、絶え、ながらへ、弱るは、その縁語であ
る。
式子内親王は「しきしないしんのう」とも呼ばれ、第七十七代・後白河天皇が雅仁
親王時代の久安五年(一一四九)に第三皇女として誕生、建仁元年(一二〇一)正月
二十五日薨去、五十三歳。前斎院として、父・後白河上皇の法住寺殿の萱御所に住ま
われていたことから「萱斎院」、父・白河法皇崩御の後に移住された大炊御門殿から
「大炊御門斎院」と称される。平安後期から鎌倉初頭にかけての、新古今時代を代表
する、当代第一と評価されもする女流歌人で、女房三十六歌仙の一人である。その御
生涯は、崇徳、近衛、後白河、二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽、土御門天皇の九代
にわたる。
父の後白河天皇は、鳥羽天皇の第四皇子で崇徳天皇の弟宮になる。母は権大納言・
藤原公実女・待賢門院璋子。内親王七歳の久寿三年(一一五五)七月二十四日に二十
九歳で、近衛天皇崩御により践祚、わずかに三年後の八月十一日には、皇子・二条天
皇に譲位し、それ以降、二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽天皇と、五代三十五年にわ
たり院政を行う。その間、内親王二十一歳の嘉応元年(一一六九)四十三歳で出家し、
内親王が四十四歳の建久三年(一一九二)三月十三日崩御、六十六歳であられた。そ
してその年の七月十二日、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉時代となる。
母は、権大納言・藤原季成女の従三位成子で、高倉局・高倉三位・高倉三位局・播
磨局とも称される。父の季成は、権大納言・藤原公実の子で、待賢門院璋子とは同腹
の姉弟であるので、内親王の母・成子は、後白河天皇とは従兄妹ということになる。
しかしながら、後白河天皇の后皇・忻子は、季成の兄である左大臣・藤原実能の孫に
なる右大臣・公能女で、さらに、季成、実能の兄である太政大臣・藤原実行の孫にな
る、内大臣・公教女子が後白河天皇の女御であり、中宮には、太政大臣・平清盛の妻・
時子の妹という、当時の後宮において、内親王の母・高倉三位成子の位置を考えれば、
それが、内親王の立場にも影響を及ぼしたであろうことは、推測できることである。
内親王は、平治元年(一一五九)十月二十五日、十一歳で第三十一代の加茂斎院に
卜定され、病のために斎院を退下されたのは、二十一歳の嘉応元年(一一六九)七月
二十六日で、斎院生活は十年間にわたっている。
京都・加茂神社葵祭の主催者の斎院は、斎王とも称し、伊勢神宮に奉仕される斎宮
と同様に、天皇の即位ごとに、占いで定められるのが習慣であり、『延喜式』には、
未婚の内親王、もしくは女王をもってすると定められている。卜定された斎院は、三
年間禊斎された後、神の御杖代となるため、紫野の野宮に入られ、加茂祭の折の、正
式の加茂神社参向のほかは、ほとんどが、野宮における朝夕の遙拝であり、奉仕であっ
たという。
内親王は、斎院を退下して八年後、二十九歳で母の高倉三位局・成子を亡くしてお
り、三十七歳の元暦二年(一一八五)准三后の宣下を受けているが、四十二歳の建久
元年(一一九〇)に、法然上人を受戒の師として出家し、法名を承如法と称したと伝
わる。そしてその二年後に、現世で最も頼りとし、拠り所としていた、父の後白河法
皇を失なっている。晩年の正治二年(一二〇〇)五十二歳の閏二月頃から乳を煩い、
秋には後鳥羽院の『正治二年院初度百首和歌』に詠進しているが、十二月頃からは病
が重くなり、翌年正月に薨去。
内親王は、和歌を藤原俊成に学び、俊成の歌論書『古来風体抄』は、内親王の求め
に応じて執筆されたといわれており、俊成の子・定家も二十歳の養和元年(一一八一)
以後、十三歳年上の内親王のもとに伺候したことが、定家の日記『明日記』により伺
われ、特に晩年の病状については、詳細に記されている。
内親王の歌風は、多様な題材をしっかりと把握し、それらを自由に使いこなし、艶
麗にして女性らしい調子、哀れな情緒の表現に優れており、師・俊成の閑寂さをもあ
わせもつ、独自の歌境をうちたてたことは、他の追従を許さない。この『百人一首』
の歌も、縁語などの使用のしかたが、適切で効果的であり、女性の心情が遺憾なく発
揮されている。
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