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にぎわい草

道因法師

  思ひわびさても命はあるものを
    うきにたへぬは涙なりけり


 『千載集』恋三に「題しらず 道因法師」とある。

 歌の意味は、こんなに辛く悲しく、恋のもの思いに悩み苦しんで、とても生きてい ることはできないと思うのに、それでも生命というものは、こうして続いてあるもの である。それなのに、涙だけは、この辛さに堪えきれずに、とめどなく流れ落ちるこ とである、というようなことであり、恋のために生命もなくなるかと思われるほど、 苦しんではいても、生命だけはもちこたえて、憂きに堪えているが、涙だけは憂きに こらえきれずに、止めようとしても、気持ちとはうらはらに、あふれおちるものであ ると、辛いことの「憂き」に、堪える命とこらえきれない涙を、対称的に用いて表現 した歌で、少々誇張した感は否定できないところもある。あまりに俗っぽいところか ら、道因の出家前の作と考えられる。

 道因法師は、平安時代末期の歌人で、藤原北家の閑院左大臣・冬嗣の子の勧修寺内 大臣・高藤を祖とする家系で、対馬守・敦輔の孫、治部丞清考の子として、寛治四年 (一〇九〇)に誕生し、没年は不明であるが、寿永元年(一一八二)頃までに亡くなっ たものと考えられている。

 俗名を藤原敦頼といい、崇徳院に仕えて、従五位下・右馬助に叙任して、承安二年 (一一七二)八十三歳で出家したと伝わる。

 歌人としては、出家する前の七十一歳「永暦元年(一一六〇)七月日」と記述され ている『太皇太后宮大進清輔朝臣家歌合』に「前馬助敦頼」とあるのが初出であり、 八十三歳の承安二年(一一七二)三月十九日の『暮春白河尚歯会和歌』には「散位藤 原敦頼八十三」とあり、その年の十二月八日の『広田社歌合』には「道因入道勧進之」 とあるので、八十三歳の三月下旬から十二月上旬の間に出家したことになる。

 『暮春白河尚歯会和歌』は、『百人一首』七十九番の左京大夫顕輔の子の藤原清輔 (八十四番の作者)が、白河宝荘巌院で催した歌会で、「尚歯会」というのは、中国・ 唐の詩人・白楽天が行ったのが始めとされる、敬老会の詩会で、七人の高齢者である 「七叟」と相伴者の「垣下」が詩をつくり遊宴した会で、和歌による会はこの時のが 最初で、八十三歳の道因が最年長である。『広田社歌合』は、前に記した神祗伯・源 顕仲が催した、摂津国広田社において、道因が勧進して催して撰歌し、藤原俊成が加 判して、広田社に奉納した歌集で、「社頭雪」「海上眺望」「述懐」の三題八十七番、 五十八名の作者が三題一首ずつ詠んだ、百七十四首からなり、道因の歌も三首載る。  その後、八十六歳の安元元年(一一七五)十月二十九日の『右大臣兼実歌合』八十 九歳の治承二年(一一七八)三月十五日の『別 雷 社歌合』などに出詠している。

 『右大臣兼実歌合』は、承安三年から治承三年までに、右大臣・藤原兼実邸で催さ れた一連の歌合で、治承三年十月十八日の歌合にも、九十歳の道因の歌が三首みられ る。

 歌壇へはかなり遅かった道因であるが、鴨長明の著した『無名抄』などには、道因 の和歌にたいする熱心さについて、いろいろな逸話が載っていて、七・八十歳に及ぶ までも、「秀歌を詠ませ給へ」と、徒歩で住吉神社に月詣をして、祈願したといい、 道因が亡くなった後、俊成は『千載集』に道因の和歌執心・志深きことを感じ入り、 十八首を収めたところ、夢に道因が現われて、涙を流して喜ぶ姿を見て、殊にあわれ がり、もう二首を加えて二十首にしたという。

 家集に『樗散集』、撰集には『現存集』があったことが判明しているが、現在は散 逸してしまっている。勅撰集には『千載集』を始めとして、『新古今集』四首、『新 勅撰集』三首など、十四歌集に四十一首が載る。

 因みに、道因が出家する前、朝廷に仕えていた官職「右馬助」は、元来が律令制下 において、政府の馬の管理を担当した官司「馬寮」の、左右あるうちの右馬寮の次官 である。左右馬寮は、勅旨を以て定められた御牧を管理し、その他の牧からのも含め て、貢馬を馬寮厩舎・寮牧などで飼育し、諸行事の料馬や諸衛府・検非違使の乗馬に 用いた。諸牧からの馬貢進は平安中期には衰えたが、治安警察の任に着く、武官とし ての馬寮官人の地位は重視されたわけで、馬寮の役職は中世以降まで続くことになる。

 また、大和絵の題材としても知られる「駒迎」は、八月に宮中で行われる、天皇が 馬を御覧になる儀式「駒牽」のための貢馬を、逢坂の関まで迎えに、馬寮の官人が出 向くことで、甲斐・信濃・武蔵・上野の牧から貢進される馬を、八月七・十三・十五・ 十七・二十・二十三・二十五・二十八日に迎えたが、駒牽の行事は平安末より衰えて いった。


[小堀宗慶]    [HOME]

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