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にぎわい草
源俊頼朝臣
うかりける人を初瀬の山おろし
はげしかれとはいのらぬものを
『千載和歌集』恋二に「権中納言俊忠の家に恋の十首の歌よみ侍りける時 いのれ
ども不逢恋といへる心を 源俊頼」とあるに拠っている、といわれている。だが、三
井記念美術館蔵「小倉色紙」、宮内庁書陵部蔵『百人一首』、陽明文庫蔵『千載和歌
集』は、三句を「山おろしよ」としている。これは、『遠島御抄』ともいう「後鳥羽
院御口伝』が「山おろしよ」とするに依ると思われる。『後鳥羽院御口伝』の成立は、
承久元年(一二一九)以前という説と、法皇が隠岐へ流配された承久三年以後という、
二説があり、俊頼没後約九十年経ている。また、詞書の「権中納言俊忠」は藤原俊忠
で、御堂関白道長の六男で御子左家をたてた長家の孫、大納言忠家の子であり、俊成
の父で、権中納言は最晩年の二年であるので、この歌は俊頼六十八・九歳の作という
ことになる。
「うかりける人」とは即ち「憂くありける人」の意で、自分に辛く当たった人、自
分につらい目を見せた人、はじめからつれない人、ということである。「初瀬の山お
ろし」は、「はげし」にかかる序詞で、「初瀬」は奈良県桜井市の地名、「山おろし」
は山から吹きおろすひどい風のことで、その風のようにの意で、次の句と合せて、相
手の態度の譬喩としている。今は一般的に、?初瀬?と書かれて?はせ?とするが、古
来?泊瀬?とも書かれ?はつせ?と呼んでいる。初瀬川の上流部の初瀬谷は、「長谷」と
も表記されるように、長く深い渓谷である。北の初瀬山、東の宇陀山地、南の音羽山
等々、三方を山で囲まれた初瀬は、要害の地でもあるが、古代から交通の要衝でもあっ
た。また、古来の初瀬山岳信仰の地であり、「山寺」として創建された長谷寺は、泊
瀬寺・初瀬寺・豊山寺の別称もあり、十一面観世音菩薩を本尊とし、藤原氏が俗別当
として所管してからは、寺運は栄え、平安時代、貴族の長谷詣が盛んであった。この
歌の「初瀬」は、第五句に「祈らぬものを」とあることから?初瀬の観世音菩薩?を意
味していることがわかる。
歌意は、思う人の心は、無情がつのってゆくばかりであり、つれなくなった人の、
薄情がなおり、すこしはやさしくなってくれるようにと、願い、祈りこそすれ、薄情
な人の心が、初瀬の山から吹きおろす風のように、もっとはげしく、ひどくなれとは、
お祈りはしないものを、どうしたことであろうか、ますますつれなくなっていく、と
いうことである。
源俊頼は、『百人一首』七十一番の『夕さればかど田のいなばおとづれて あしの
まろやに秋風ぞふく」の作者・大納言経信の三男で、天喜三年(一〇五五)に誕生。
母は土佐守・源貞亮女、一時期、橘俊綱の猶子となる。
白河朝(一〇七二・十二月―一〇八六・十一月)末に従四位下・左京権大夫となり、
続いて堀河天皇に近侍した。四十一歳の嘉保二年(一〇九五)父の大宰権帥赴任に同
行し、四十三歳の承徳元年(一〇九七)父の死去により大宰府より帰京、再び堀河天
皇に仕えたが、官位は上らず、長治二年(一一〇五)五十一歳で木工頭に任ぜられた
が、五十七歳の天永二年(一一一一)退官し、その後は従四位上・前木工頭のままで
終始した。大治四年(一一二九)七十五歳で没す。
父の経信は、和漢の学問、漢詩・和歌の道、琵琶などの管絃の芸道、等々博識多才
で、政治の面でも法令に通じるという、全般に深く達していたが、俊頼は管絃と和歌
の才能を受け継いだといえる。
俊頼の才能は、篳篥(雅楽の楽器)の奏者・楽人として早く認められていたが、和
歌においては遅く、父・経信が判者を勤めた『四条宮扇合』に作者となった三十四歳
が初めてであるが、大宰府から帰京後は、堀河院歌壇の事実上の推進者として活躍、
組題類聚百首のはじめである『堀河院百首』の当初の企画者であったといい、退官の
後も多くの歌合の作者・判者・指導者として活躍し、白河法皇の院宣により、第五代
勅撰集『金葉和歌集』を撰し、七十二歳の大治元年(一一二六)と翌二年の間、三奏
本を奏呈した。
歌風は、父・経信の風を伝承・発展させ、伝統を重んじながらも、新しさを追求し、
題材・表現・用語全てに自由さがあり、人生の悲哀なども表現した。それはきわめて
革新的であり、中世和歌に多大な影響を与えた。保守派の藤原基俊と対抗したが、基
俊に師事していた俊成は、俊頼の歌風を慕い、私淑したという。
『後鳥羽院御口伝』には「俊頼堪能(熟達している)のものなり 歌すがた二様に
よめり うるはしくやさしき様もことに多く見ゆ 又 もみもみ(あっさりと表現せ
ず曲折をつくすこと)と人はえよみおほせぬ様なる姿もあり 此一様 即ち定家卿が
庶幾(こい願う)する姿なり」とあり「うかりける」の歌を例にあげている。
家集には『散木奇歌集』、歌学書に『俊頼髄脳』があり。勅撰集には『金葉集』以
下に二百十首入集されている。
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