Japaneseenglishfrench

にぎわい草

左京大夫道雅

  いまはただ思ひたえなむとばかりを
    人づてならでいふよしもがな


 藤原道雅は、中関白・道隆の孫、儀同三司伊周の子で、母は大納言・源重光の女で ある。正暦三年(九九二)に生まれ、十三歳の寛弘元年(一〇〇四)叙爵、蔵人・東 宮権亮などを歴任して左近中将となる。三条天皇の長和五年(一〇一六)正月、二十 五歳で従三位に昇ったが、同年の初冬に、三条院の第一皇女で前斎宮・当子内親王と 密通し、院の怒りをかい勘当を受けた。中関白家の嫡流でありながら、道隆の死後、 その弟の道長に政権が移行したこともあってか、粗暴無頼の奇行が目立ち、「荒三位」 とも呼称され、後一条天皇の万寿三年(一〇二六)三十五歳にして中将も罷免、右京 権大夫に左遷されてしまうが、五十四歳の寛徳二年(一〇四五)左京大夫に復した。

 百人一首のこの歌は、伊勢の斎宮の任を終えて、京へ帰られた当子内親王に密通し、 三条院の勘当を受けていた折りに詠んだもので、『後拾遺集』恋三に「伊勢の斎宮わ たりよりまかりのぼりて侍りける人に しのびてかよひけることを おほやけもきこ しめして まもりめなどつけさせ給ひて しのびにもかよはずなりにければ よみ侍 りける 左京大夫道雅」とある。この、前の斎宮への密通事件は、左遷の要因ともな り、世間に知られるところとなり、『栄華物語』の「玉の村菊」と「木綿四手」や 『十訓抄』の五に採り上げられていて、道雅の歌としては、これに関した詠歌に傑作 といえるものがある。

 歌意は、前の斎宮・当子内親王との仲を、厳しく隔てられて、絶対に会うことので きない状況にある、道雅としては、当子内親王にたいして、言いたい事は多々あるが、 最後の願いとして、今となってはもう、貴女のことを、思い切ってしまおう、と絶交 の一言、ただこれだけでも、人づてではなく貴女に、直接会って、言い伝えたいもの だ、その方法、よすががあればよいなあ、ということで、どのような隔てがあろうと も、どうしても一目なりともあいたい、そして、悲しい、諦めよう、の心の程を一言 なりとも、伝えたい、訴えたい、それも直接に会ってではないと、という絶体絶命の、 差迫った心境を詠じたもので、非常に悲しい歌であるが、その奥には、断念しように も断念できない、心の葛藤が感じられる、人の心を打つ、強い歌でもある。

 道雅は、後冷泉天皇の天喜二年(一〇五四)七月二十日、六十三歳で没す。  歌人としては、たいした評価を得てないとはいえ、それでも、先述したように、当 子内親王と関係したものに、真実が滲みでた秀歌があり、中古三十六歌仙の一人とし て、『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に七首、選ばれてもいる。


[小堀宗慶]    [HOME]

COPYRIGHT (C) ENSHUSADO-SOKE