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にぎわい草
紫 式部
めぐりあひてみしやそれともわかぬまに
雲がくれにし夜半の月かな
『新古今集』雑の上に、「はやくよりわらはともだちに侍りける人の としころへ
てゆきあひたる ほのかにて 七月十日の此 月にきほひて帰り侍りければ」と詞書
がある。
久しぶりに、おさな友達で有った人に再会したが、その人であるとか思い定めぬあ
いだに、たちまち雲にかくれてしまった。七月十日ごろの夕月(夜半の月)のように、
急いで姿をかくして帰ってしまった人ですよ。あなたは久しぶりですのに、お名残り
惜しい事でした。月もめぐっては又出るものだが、久しぶりにめぐりあって顔を見た
らば、昔の友達であった、その人かとも見わけぬあいだに、雲にかくれた今宵の月の
ように、早く姿を消してしまわれた、其の人の名残りのおおさよ、というような意で
ある。
紫式部は、閑院左大臣冬嗣の六男・良門を遠祖とする。曽祖父は兼輔、延喜時代の
歌人であり、祖父・雅正、その弟・清正、叔父・為頼、皆優れた歌人であった。父・
為時は、歌人というより詩文に長じ、儒学の造詣が深かった。母は藤原常陸介為信の
女。当時の女房としての名は、藤式部、死後に「紫式部」と呼ばれたと考えられてい
る。『源氏物語』中の、紫の上の事を特に心して、くわしく述べた所から由来しての
名と云われる。「式部」は父・為時の官位、「式部丞」から来たものである。右衛門
権佐・藤原宣孝の妻となり、二人の女を生んだ。姉の賢子は、太宰大貮・高階成章の
妻となったので後に「大貮三位」といい、妹は「辨の局」といって、後に後冷泉院の
御乳母となった。
式部の夫は右衛門権佐・藤原宣孝である事は前記したが、長保三年(一〇〇一)四
月廿五日宣孝が亡くなり、その後は再嫁せず身を堅く持ち、後に一条天皇中宮の彰子・
上東門院に仕えた。
此の上東門院の女房達は、皆歴々たる才女であったが、其中に於て、この紫式部は、
才智ある貌もちもせず(才智を自慢するような事もせず)、非常におとなしい人柄で
あり、学問は格別に優れていた。其の証は、寛弘四年(一〇〇七)に上東門院がまだ
中宮と申していた時に、式部に『白氏文集』の楽府をお習いになったという事もあり、
其の上東門院の叔父・御堂関白道長が、夫に別れて後は、やもめながら宮仕へするの
を見ると、その容儀うるわしく、才智ある・女なる故、たびたびたわぶれ言など申さ
れたけれど、品よくもてなし、相手をきづつける事なく、相手にしたがう事もなかっ
た。
このような事は、かの『紫式部日記』の内容を見れば、窺い知る事が出来る。寛弘
六年のころ、式部の作った『源氏物語』が、上東門院の御前にあるのを、道長公が御
覧になって、例の如く色々からかわれたことがあったついでに、梅の折枝が敷てある
料紙に、御歌を書かれた。
すき物と名にしたてれば見る人の をらで過るはあらじとぞ思う
この歌意は、「梅の味 の酸きなるもの―好き者」と通わせて、紫式部が『源氏物語』
を作って、色好みという名が立っているので、見る人が梅の枝を手折るごとく、式部
を其まま見すごす事は無いと思うと、少々おたわむれの歌を詠んだ。この時の紫式部
の返歌は、
人にまだ折られぬものを誰か此の すきものぞとはくちならしけん
この歌は、さように仰せになるけれど、夫より他の人には、まだ手折られぬものを、
だれが色ごのみであると、云うのでしょう、と、返歌によって、世の中の人が、紫式
部は『源氏物語』を記述しているので、その内容から、余程好き者と思われていた事
を、きっぱりと、返歌によって表現したのであろう。又、其のころ、式部が渡殿とい
う所に寝ていた夜、戸をたたく人があるが、式部はおそろしく思い、みずからは音も
たてず、夜を明されたのである。其の明る朝、道長公より、
よもすがら水鶏よりけになくなくぞ 槇の板戸をたヽきわびつる
「くひなよりけに」とは、水鶏よりまさる程にと、戸をたたいたのであろう。
此かえし歌に式部は、
たゞならじとばかり叩くくいな故 あけてはいかに悔しからまし
この歌意は、「私は身堅く持って、操の正しき人である」という事を、決然と歌に托
したのである。
紫式部の人柄は『源氏物語』の内容から連想する人が多いが、決してそのような、
みだらな人ではなかった。式部の逸話は沢山あって、とても書ききれない程ある。式
部の著書『源氏物語』五十四帖の大長編は、日本文学史上はもとより、世界文学史上
に於ける一大傑作である。又、『紫式部日記』も、日記文学中の白眉とされている。
家集には式部晩年の自撰による『紫式部集』があり、百二十八首を収めている。勅
選集に入る歌は、『後拾道集』三首、『千載集』九首、『新古今集』十三首、『新勅
撰集』五首、『続後撰集』四首、『続古今集』七首、『続拾遺集』三首、『玉葉集』
六首、『続千載集』六首、『続後拾遺集』・『風雅集』各一首、『新千載集』四首、
『新拾遺集』一首、計六十三首である。
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