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にぎわい草
恵慶法師
八重むぐら茂れる宿のさびしきに
人こそ見えね秋は来にけり
花山天皇の寛和の頃の人という。寛和元年は九八五年に当る。
其の昔、源 融の広大な、河原院と呼ばれた邸が、六条坊門の南、万理小路の東に
あった。融の在世中は、奥州の塩竈の浦の景色をうつされて、大層おもしろく情緒の
あった所であったが、年を経てその壮大な邸跡に立って見ると、在世中は大勢の大臣
達が訪ねて来て、歌会等も行われ随分と賑やかな事であったが、その河原院の跡邸を
訪ねて見ると、昔のはなやかさはなかった。
この歌は紀貫之の作にある、「訪ふ人もなき宿なれどくる春は 八重葎にも障らざりけり」
と、時節や情緒の異なる所があるが、この歌を例としたとも考えられる。恵慶法師ば
かりでなく、その昔、荘大で賑やかであった、河原院の状景を詠った歌人も多い。恵
慶法師の、同時の作と見られる歌と、考えられる歌がある。
草茂み庭こそ荒れて年経ぬれ
忘れぬものは秋の白露
などがあり、昔より「八重葎」を、当時の壮大さを思わせる、対照とした歌は多くあ
る。
八重葎しげき宿には夏むしの
声よりほかに詠ふ人もなし(後撰集 よみ人しらず)
八重葎しげれる宿につれづれと
訪ふ人もなき詠めをぞする(風雅集 権中納言定頼)
八重葎茂れる宿はよもすがら
虫の音聞くぞとりどころなる(詞歌集 永源法師)
八重葎茂れる宿は人もなし
まばらに月の影ぞ澄みける(新古今集 前中納言国房)
又、恵慶法師の歌と思われるものが、『後拾遺集』の秋上に「河原院にてよみ待りけ
る」という詞書があって、
すだきけんむかしの人もなき宿に
たヾ蔭すめる秋のよの月
又、『続古今集』秋上に「河原院にて詠み待りける」として、
草しげみ庭こそあれて年へぬれ
わすれぬものは秋のしら露
等々、昔『源氏物語』に出てくる源融時代の、華々しかった、この河原院の荒れ様に、
栄古盛衰の情を感じ、又、歌の心を表現するには、適していたと思われる。
「八重葎」とは、一般的には雑草の事である。「むぐら(葎)」は山野に自生し、
春から夏にかけて白花を開く。「八重」は幾重にも重なった意(八重桜等)であるが、
ここでは「葎」のみを意識していない。いやがうえにも、生い繁っている草、という
意である。特に「こそ」は強意の助詞で、『古今集』にある「昨日こそ早苗とりしか
いつの間に 稲葉そよぎて秋風の吹く」の「こそ」と同様の使い方をしている。
この「八重葎」を使用する思想は、「茶の湯」では佗びの心として、藤原定家の書
いた「八重むくら」の色紙を、茶事の床に掛けている。遠州もこの色紙を所持してい
る。又、茶の湯の話の中で、禅の心と通ずるとして、秋の終わりの頃の状景を詠んだ
「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」の歌を代表的に取りあげ
ている。
歌道と茶道では、ややその意を取得する点に相違がある。以来、茶の心としては、
その昔栄えた大邸宅にただずみ、出家の境涯を感じ、八重葎の茂れるを荒寥と感じ、
人の訪問を気にし、盛者必衰、無常迅速の理 を悟り、この歌の意として、大切にし
たのかもしれない。
「見わたせば」の歌の心は、花や紅葉は人間の一生の内に花を咲かせ、極楽の境地
を色々と経験した後、つまり花も紅葉も経験した後に、初めて何もない空の世界、う
らの苫屋に空虚な無を大悟するのが「佗びの世界」としているので、和歌としてはそ
れほどの情緒は無いが、茶の湯では「わび、さび」の終局の境地を、この歌に託して
いるのである。「八重葎」の和歌も、「見わたせば」の境地も同様である。
茶の先駆者は、表面的の歌意よりも、禅的な内容の心を大切にしたと考えられる。
千利休の愛誦した「花をのみ待つらん人に山里の 雪間のくさの春を見せばや」の和
歌も、前記二首とその意を同じくしている。この毎月の連載では、あまり「禅」とか
「茶道」とかにふれずに記してきたが、今回この恵慶法師の和歌解説に当って、何と
なく、二首の和歌を示し、茶の湯の道の「わび」の心を和歌によって、知識の中に入
れて欲しい、と思ったのである。
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