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にぎわい草

中納言朝忠

 逢事のたえてしなくばなかなかに
 ひとをも身をもうらみざらまし


 藤原朝忠は、三条右大臣定方公の五男で、母は中納言山蔭卿の女である。延喜十年 (九一〇)に生まれ、同十七年には、八歳で昇殿を許された。蔵人、侍徒、左近衛中 将と累進して、天暦六年(九五二)参議、次いで太宰大弐、讃岐守など歴任し、応和 三年(九六三)従三位右衛門督・中納言となり、土御門中納言と称した。『大和物語』 に「朝忠中将」とある。村上天皇の康保三年(九六六)十二月二日、五十七歳で薨じ た。三十六歌仙の一人である。

 この歌は『拾遺集』恋の一に載せられ、「天暦の御時の歌合に」とある。歌の意は、 恋人であるあの人に、逢うという事が絶えてない、つまり全然ないならば、人の心の つれなく変わるも、又、我が身の仇なる契りをむすんだことをも、恨むことになるの だなあ、という、一首のうちに言いつくさずに、おのずから其心をふくませて、聞か せた歌である。

 「逢事」=会っている時、「たえてしなくば」=絶対にないならば、全然逢えない のなら、という意で絶対に逢う事が絶え果てる意味ではない。「絶えてし」の=「し」 は出来ないというではなく、強く指示する助詞である。「なかなかに」=却って。 「うらみざらまし」=恨まないであろう。併し事実は之に反する事であると、人をも 身をも恨む所以を理智的に反省し、之を遊説的に述べたものであろう。昔の恋の切な さを表すのに、一層効果的である。

 この歌の本歌をたずねると、『古今集』の業平の歌「世の中に絶えて桜のなかりせ ば春の心はのどけからまし」にたどりつく。着想、形式的共に非常に類似しているの で、とかくの批評がされているが、中将が業平に心酔のあまり、業平の詠歌を読誦百 遍、血となり肉となっての自然の結果、この詠歌となったと思う。  朝忠中将は、「名にしおはゞ逢坂山のさねかづら」という有名な歌を詠んだ三条右 大臣の御子であり、栄進も早く、中納言になり、「三条の中納言」とも「土御門中納 言」とも称されていた。

 この卿は和漢の書籍に渉って学問が深く、其の才能は大変かしこいと世に高かった。 そして、常に笙の笛を好み吹せられたが、その人となりは、背も高く肥えふとり、立 居にも苦しい程であった。特に笙の笛を吹く時には、息苦しい程なので、重秀という 医師を枕に寄せて、どうしたら痩せ細るような療治があるかと、尋ねたところ、重秀 が答えて、別にどのような薬とても無いが、これは唯々、食物によって養生する以外 には之れ無き旨、申しあげたところ、中将はそれではどんな食物によって養生したら 良いか、と尋ねた。医師は、冬は湯漬け、夏は水漬けになされば、御身も自然細身と なるであろうと答えた。
 中将は医師の云う通り、湯漬け、水漬けと、教えの通りにし たが、一向に細身にならず、更に猶々太らるるに、是は如何なる事かと、重秀に再び 問うたところ、水飯はどの程度召しあがるのでしょうか、と問われたところ、それで は我が水飯を食うところを見よとて、侍達にその用意をさせた。重秀は侍者達の用意 する膳盤を見ると、いかにも見事な鮎に、干瓜のようなるものを、山の如く器に盛ら せ、その上金椀という大きい椀に、飯を高々と盛りあげ、水少し入れさせ、箸を取り あげ、二かき、三かき廻したと見ると全て食尽し、又々、前の如く取かへ引きかへ食 べてしまう様子に、重秀は仰天して、このように数かぎりなく召し上がられたらば、 いつになっても、肥満体の直る時はございませんと、あきれにあきれて退座したとい う、話しが残っている。現在でも是の話に負けないような、例があるようである。

 余談はおいて、扠家集に『権中納言朝忠集』があり、七十二首を収めているが、他 人の作も混入し、必ずしも秀歌ばかりではない。勅撰集に入る歌は、『後撰集』四首、 『拾遺集』三首、『新古今集』一首、『新勅撰集』三首、『続後撰集』『続古今集』 『玉葉集』各一首、『続千載集』三首、『続後拾遺集』一首、『新千載集』二首、 『新後拾遺集』一首、合計二十一首が収められている。


[小堀宗慶]    [HOME]

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