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にぎわい草
参議 等
浅茅生の小野の篠原しのぶれど
あまりてなどか人の恋しき
春早々から秋の歌、続けて恋の歌と続いて申訳なく思っておりますが、昔からの百
人一首の順序に従って執筆しておりますので、この点をご了承いただきたい。
今回の歌も、浅茅の生えた小野の篠原の「しの」という語に関係ある、忍ぶという
事をつとめてきましたが、忍びきれずに思い余って、貴方がこんなに恋しいとは、ど
うした事でありましょうか、われながら不思議に思う程です、という歌意の恋の歌で、
『後撰集』恋一に載る。
浅茅とは、茅花の葉の事で、其浅茅の生えている野をささ原といい、篠を「しの」
ともいうので、「しのぶ」という詞の序にいいつけたもので、下の句で恋の心を表し
ているのである。
「浅茅生」の「生」の字は、浅茅の生えているということで、よもぎの生えている
所を「蓬生」といい、粟の生えているところを「粟生」といい、草木の生えている園
を「園生」というように、歌の詞としては皆同じ心である。
この歌の「小野の」の「小」の字は、つけ字で意もなく「小野」は野の意味で、名
所ではない。
『扶桑略記』に、天慶元年四月二十六日右大臣源 等を以て参議に任ずとあるので、
この人は嵯峨天皇の曾孫の故に源氏である。祖父は嵯峨天皇の御子広幡大納言弘、父
は中納言希。村上上皇の天暦元年(九四七)四月、右大臣から参議となり、同五年正
月には正四位下に叙せられた。同年三月十日七十三歳にて卒する。
勅撰集に入ってる歌は、『後撰集』に三首あるだけである。
『古今集』恋一(五〇五)読み人しらずの歌に
浅茅生のをのの篠原忍ぶとも
人知るらめやいふ人なしに
この歌を本歌としたものと思われる。
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