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にぎわい草
右近
忘らるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな
『大和物語』という、作者は不明であるが、十世紀半ばに成立し、百七十余の章段
から形成されている、『伊勢物語』と並び称される歌物語がある。全体を通じて主人
公はなく、説話集的な性格の本であるが、この『大和物語』の中に、表題の「右近」
の事が記されている。それによると、季縄少将のむすめで、七条后穏子(醍醐天皇の
皇后)の官女として仕えたが、親(右近少将季縄)の官職に因んで右近を呼名とされ
た。
そして、この右近の生涯を見ると、男運には恵まれぬ悲恋の女性であったようであ
るが、右近の相手は中納言敦忠であるようだ。右近は「男の忘れじと万の事をかけて
誓ひけれども…」とあるように、歌意を述べれば、男に忘れられたる、わが身の見捨
てられたのは、辛い事には相違ありませんが、別に気にはとめません、それよりも、
決して忘れはしないと固く誓ったあなたが、その誓いをお破りになった為に、神罰を
うけてお亡くなりになるのではあるまいかと、貴方の命が惜しまれます、という女性
の心を詠んだものであろう。
神にかけて忘れじと誓った者に、ふり捨てられる女の立場程、悲しいものはないだ
ろう。固い誓約をした人が、その誓約を破棄して、顧みない態度に対しても、なお神
罰てき面で亡くなられるような事があってはならぬと、気にかけているのである。
「貞女は二夫にまみえず」を地で行って、切に反省を求め、捨てられはしたが、男の
心が再び我が身に帰って来てくれる事を念願しつつ、贈った歌であろう。『拾遺集』
巻十四恋四に「題しらず、右近」(八七〇)とあるのによる。
平成の男女の交際とは大分違うようだ。男女ともに二夫にまみえる事をあまり気に
しない考えの人が、今は多いのではないか。「貞女は二夫にまみえず」などと云う日
本語は、死語になったのか、と思われる。
『源氏物語』に「なよびかにをかしき事はなくて 交野の少将(右近の少将季縄の
事)には笑はれ給ひけむかし」(帚木)、又『枕草子』に「物語は住吉 空穂の類
殿うつり 月まつ女 交野の少将」と云う、この交野の少将は右近を指しているので
はないかと思う。季縄の『一代記』は現在滅びて伝わっていない。
勅撰和歌集に入る歌は、『後撰集』五首、『拾遺集』三首、『新勅撰集』一首、合
計九首があげられる。
この右近の歌については、玄旨法印はこの歌について「貞女二夫をかへじと思うも
のなどの 忘らる?はいかばかり悲しかるべきを その我が身を思はずして 猶その
人の誓いの罪をうけて 命もうせん事をおしめる心哀深し」と評しているが、又、一
説には「さにあらず こは忘れられたるを腹だちて 俗にいう ふてくされてよめる
歌なり」とある。
両説は両極端を評しているが、これはこの歌をきく人、見る人の心にある、という
ことを、つけ加えておく。
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