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にぎわい草

清原深養父

 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

 雲のいづこに月宿るらむ



 清原の姓は、舎人親王の子孫、其の他、諸皇子の末孫にも賜った。『姓氏録』に、 清原眞人、敏達天皇の御孫、百済王の後である、と記されている。

 深養父は、『作者部類』によれば、筑前介海雄の孫、豊前介房則の子で、清少納言 の父である元輔の祖父に当る人。醍醐天皇の延長元年(九二三)に内匠大允に任じら れ、同八年従五位下に叙せられた。琴の名手であり、歌人として、兼輔、貫之等との 交友があった。この延長八年九月醍醐天皇が崩御せられた。四十六歳であった。深養 父は晩年、京都・北山に補陀落寺を建立して隠棲した。三十六歌仙の一人である。

 前記の歌は、『古今集』夏の部に「月のおもしろかりける夜 暁方によめる 深養 父」(一六六)とある。

 歌の意は、夏の夜はさても短いものである。まだ宵の間だと思っている中に、夜は もう明けてしまったが、こんなに短い時間では、あの月はとても西の山まで行きつく 事は出来まい。さてはあの雲のいづかたかに、宿っているのだろう。というような事 である。夏の夜はの「は」は、秋などの夜長の季節に対立させた言い方で、夏の短夜 を特に取出して、区別しているのである。宵でありながらとは、夜に入ってまだ間も ない頃、即ち初夜をさしているのだろう。

 夏の月の面白い夜、涼みながら、いつの間にか時がすぎ、夜を明かして、しらじら とした暁が、速くもやってきた実感を、詠んだものであろう。短夜の、いつのまにか 白んできたのに驚いた気持を、月にことよせて、夏の月の、如何にも早く西の山にし ずむのは、さてさて、月も沈んでゆくのが呆れるくらいだ、と云っているのである。

 家集に『深養父集』があり、六十四首を収めているが、調べてみるとその中、十五 首は他人の作である。勅撰集に入る歌は、『古今集』十七首、『後撰集』五首、『拾 遺集』一首、『新古今集』に五首、『続後撰集』に一首、『続古今集』に二首、『玉 葉集』『続後拾遺集』『新千載集』に各一首、『新拾遺集』に三首、『新後拾遺集』 に一首、『新続古今集』に二首と、勅撰集の多くに収められており、合計四十首であ る。

 深養父の『百人一首』に記載されているのはこの歌であるが、佳作として知られて いるものも多い。その内一、二首をあげる。

 冬ながら空より花の散りくるは

 雲のあなたは春にやあるらむ
(古今集)


 恋しとはたが名づけけむ事ならむ

 死ぬとぞたゞに言ふべかりける
(古今集)


 吹く風の誘ふ物とはしりながら

 ちりぬる花のしひて恋しき
(後撰和歌集)


 深養父の詠歌をみると、実景を抒情的に詠んでいるものが多い。


[小堀宗慶]    [HOME]

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