|
にぎわい草
藤原 興風
誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに
興風は参議浜成の曾孫。道成の子である。醍醐天皇の昌泰三年(九〇〇)相模掾、延
喜二年(九〇二)治部少丞、延喜十四年(九一四)下総権大掾に任ぜられ、従五位を授
けられた。
歌風は、調子の強いのを得意とし、紀貫之との贈答歌もある。寛平御時后宮の歌合、
延喜十三年亭子院の歌合等の作者である。管絃にも巧者であったといわれる。
歌意は、老後の孤独を嘆いたものであろう。『古今集』雑上に「題しらず」として掲
載されている。「私は年老いて友達達は皆死んでしまって、誰ひとりとして残っていな
い。あの高砂の松は長命であるというものであるが、これも昔からの友達ではないのだ
からなあ」ということで、最後の「に」に特に感嘆の心を含めている。
和歌では「高砂」という呼び方は、固有名詞として名付けたものであろう。山の惣名
としているのである。高き砂という事で、砂が高く積って山になったという意であろう
。此歌の高砂は、播磨国加古郡の高砂を指している。此所はもと海辺で、砂の高く盛り
あがっていたところから「高砂」と名づけたのであろう。
この歌の詠み出しの「誰をかも知る人にせむ」は「誰を知る人にせむかも」、と順序
を置き変えるとわかりやすくなる。誰を友達としようかなあ、友達に相当する人は周り
を見ても誰も一人もいない、と慨嘆している。又「友ならなくに」は、「友ならぬ」に
よって、「友達ではないのだからなあ」と、又、唐の詩人白楽天の「感旧詞巻」と題す
る詩の結句に「十人の酬和九人は無し」に類し、旧友は皆鬼籍に入ってしまったので、
今や松あり友なし、というところ。而もその高砂の松も、自分に比べれば若いので、友
としかねると、我がいたく老いたる事を誇張している。
家集に『興風集』があり、『歌仙家集本』『群書類従本』共に五十二首を収めている
が、その全部を興風の詠と信ずる事は難しい。
勅撰集に入る歌は、古今集十七首、後撰集五首、新古今集四首、続古今集三首、玉葉
集・続千載集・続後拾遺集各二首、風雅集・新千載集・新拾遺集各一首、合計三十八首
が掲載されているが、『古今集』の一首は『拾遺集』には柿本人麻呂作となっている。
興風の詠歌として知名度の高いものは、
声絶えず鳴けや鶯一年に
二度とだに来べき春かは (古今集春の下)
霜の上に跡ふみつくる浜千鳥
ゆくへもなしと音をのみぞ鳴く (新古今集恋の一)
何れの歌には、強い響が出ていると考えられる。
|