にぎわい草
紀元節
紅心 小堀 宗慶
一、雲に聳ゆる高千穂の 高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世を 仰ぐ今日こそたのしけれ
二、海原なせる埴安の 池のおもより猶ひろき
めぐみの波に浴みし世を 仰ぐ今日こそたのしけれ
三、天つひつぎの高みくら 千代よろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを 仰ぐ今日こそたのしけれ
四、空にかがやく日のもとの よろずの国にたぐいなき
国のみはしらたてし世を 仰ぐ今日こそたのしけれ
「紀元節」の式典において、学校などで唄われた、『紀元節』という歌である。作詞は宮内省御歌所長・高崎正風、作曲は伊澤修二、明治二十一年につくられ、終戦まで唄われていた。
紀元節は、旧制の祝祭日の一つで、第一代天皇の神武天皇が即位されたとする二月十一日を、建国記念の日として、国家的祝日にと明治五年に制定された日で、この日の早朝、皇霊殿において天皇の親祭があり、夕刻にも御祭があり、神武天皇の御即位をお祝いする。
「神武天皇」は諡号で、『日本書紀』では『神日本磐余彦尊』とされ、父は「天孫降臨」の瓊瓊杵尊の孫・彦波瀲武 草葺不合尊、母は玉依姫命。「天孫降臨」は、
大国主命から地上の国土を譲られた、天上の神・天照大神が、孫の瓊瓊杵尊に「八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊曲玉」の「三種の神器」を授け、地上を治めるべく、高天原から日向国(宮崎県)の高千穂峰へ降りさせたという神話である。天孫(瓊瓊杵尊)が高千穂へ降臨され妻とされたのが木花之開耶姫。このお二人の曾孫がのちの神武天皇で、当時はまだ全土が統一されていない、情況であった。そこで「神武天皇の東征」がなされた。
四十五歳の十月に、高千穂宮を出立された神武天皇は、五年後に奈良の畝傍山の東南の橿原の地を都と定め、翌々年に即位される。『日本書紀』の記述によれば、五十二歳の、 辛酉の年の春正月、庚辰の朔の日 天皇 橿原の宮に即帝位ら したまひき この歳を天皇の元の歳と為すとある。この辛酉の「紀元元年正月一日」を太陽暦に換算すると、紀元前六六〇年二月十一日になると特定し、明治政府が決定した。これは「皇紀」とされて、日本独自の年号として用いられていた。昭和十五年(一九四〇)皇紀二千六百年の記念式典が、皇居前広場で挙行され、式殿として仮設された「光華殿」が、翌年には、東京小金井に移築され、現在は周囲が「江戸東京たてもの園」となっている。因みに今年は皇紀二千六百七十一年になる。
「紀元節」は、日本が第二次世界大戦に負けた結果、GHQにより廃止されていたが、その後、紀元節復活、「建国を記念する日」の制定の要望が盛んとなり、紆余曲折の末、昭和四十二年になって「建国記念の日」が正式に実施され、今日に至っている。

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