にぎわい草10月

にぎわい草

菊人形

紅心 小堀 宗慶 

 菊には”春菊”から”夏菊”、最も華やかな”秋菊”、特に葉が赤く色づく”冬菊”である”寒菊?”と、四季それぞれに、美しい花を咲かせる種類が多くあるが、なかでも、秋の最中を彩る、鉢植えの、園芸品種の花が?菊?を代表する花で、全国に愛好家が多数いて、その腕前を競い合い、各地で「菊花展」が開催されている。しかし、小菊の花と葉を用いて人形の衣装として、歌舞伎の名場面などを、作りだす「菊人形」は、その会場であった遊園地が閉園されるなど、社会情勢の変化により、減少の途をたどっている。

 江戸時代後期、桜の?染井吉野?で知られる染井村、駒込や巣鴨一帯は江戸の府外で、植木屋が多く、菊の栽培もおこなわれていた。享保年間(一七一六―三六)染井で「花壇菊」という展示がされ、文化年間(一八〇四―一八)になると”大作り””菊細工”が流行し、駒込・巣鴨が中心となり、品種改良などもなされて
いる。この栽培がもとになって、弘化元年(一八四四)巣鴨に菊人形が登上する。しかしこれらの期間は短かかったようで、まもなくの安政年間(一八五四―四九)に、
根津神社の近くの団子坂で催されるようになり、明治維新で途絶えるが明治十年(一八七九)復活、二十年代頃から最も盛んとなって「秋は菊見に団子坂」といわれるようになる。

 明治四十二年、江戸時代に相撲が興行された、両国・回向院の隣に国技館ができると、ここで大掛かりな菊人形展が始まり、団子坂での菊人形展は、明治四十四年に幕を閉じる。両国国技館の菊人形展は、昭和十八年(一九四三)まで続いている。第二次世界大戦後、国技館は進駐軍に接収され、その後は日本大学の講堂となり、現在は取り壊されて、昔を忍ぶよすがもない。

 戦後に、東京の人達に知られた菊人形は、共に大正十四年に開園した、千葉県習志野市の谷津遊園と、大田区の多摩川園であった。谷津遊園は開園当初から昭和五十三年まで、多摩川園は昭和十年から五十一年まで、菊人形を催していたが、谷津遊園は昭和五十七年、多摩川園は昭和五十四年に、遊園地そのものもなくなってしまった。

 かつて百都市を越え、百数十箇所で開催されていた「菊人形展」も、今では三十箇所にみたないという。戦後に日本三大菊人形と称されたなかでも、大阪府枚方市の「ひらかた大菊人形展」は、両国国技館の菊人形開催の、翌年から行われていたが、平成十七年に九十六年にわたる歴史を閉じた。あとの二箇所、福島県二本松市と福井県武生市(現・越前市)の菊人形は大規模な展示を続けている。

 だんだん少なくなっている菊人形であるが、小規模ながらでも、名古屋城では昭和二十三年から五・六体が展示されて、東京でも、湯島天神で昭和五十四年から四・五体、台東区の「谷中菊まつり」は昭和五十八年から二体程を、毎年続けて飾り、菊人形造りの技術を守っているのは、たいへん喜ばしいことである。