にぎわい草

にぎわい草

五月五日のこと

紅心 小堀 宗慶 


 現在「こどもの日」という、国民の休日となっている、五月五日は、「雛祭り」という女児の節句にたいする、男児の「端午の節句」という、年中行事の一つとして、
広く全国的に行われている。

 「端午」という語は、「上巳の節句」が、陰暦の三月上巳の日から、三月三日に定着して行われているのと同じく、中国古代にては五月丙午が陽気盛んな特別な日となり、五月上午の日が五月五日に定着したという説がある。そこから「午」の日に意味を持たせて、五月五日を「端午」としたというのである。

 しかしながら「端午」の語の表われるのは、中国においては遅く、八世紀初期の唐時代、玄宗皇帝の生誕日が八月(仲秋)五日(端午)で、それ以来、毎月の五日を全て、「端午」と称すべき、となったとも伝わり、五と午の音が通じるから、ともいわれている。

 また、唐代での五月五日の端午は、紀元前三百年頃の楚の詩人・屈原が、五月五日に汨羅に投身自殺したのを哀れんだ楚の人々が、その日になると、綜の原形である、竹筒に米を詰めたものを投じて、屈原の霊を祭ったことに、由来するという説もある。

 五月五日は、古代中国で重んぜられた「四仲」である仲春・仲夏・仲秋・仲冬の仲夏の初めの五日であるので、「端」の「五」日の義で、「仲夏の端五」となり、三
世紀には「端五」と書かれている。したがって、「端五」もまた毎月の最初の五日を指すが、古代中国の三世紀中葉に起こったとされている、三月三日や九月九日などの「重数節日」と重なり、五月五日の重数節日のみを「端五」と称するようになる。五月五日は元もと「端五」と書かれていたわけで、「端午」と書かれるより、約五百年
も古くからということになる。

 古代中国で、陰歴五月に「毒月」という、異称がある。この月は「暑月」とも称するように、日に日に気温が高くなり、湿度も増し、人に害をなす細菌も繁殖しやすく
なり、日々の生活に支障をきたす、疫病も蔓延する恐れが生じてくる。このようなことから、五月のことを「毒月」といい、「悪月」とも称するようになったわけである。
毒を封ずるためにか、五月五日に「採薬」を行う風習があり、日本でも「薬猟」と称して、五月五日の節句に野山に出て、薬草を採集した。この日に収薬すると?百病を
治すべし?と信じられていた。

 古代日本の朝廷では、五月五日の節供に、昼の御座の南北の柱、夜の御殿の御帳の東の柱に「薬玉」を掛けた。沈香や麝香、丁字などの香料を、錦の袋に入れ、時代により異なるが、菖蒲や艾で飾り、長く五色の糸を下げる。悪気を払う魔除けのまじないで、中国での「続命縷」「長命縷」に倣ったもので、元来中国でも、端午の節物として贈答され、臀にかけてもいた。日本で特に菖蒲を使うのも、その薬効が中国で知られ、悪疫を除去する力があるとし、家の軒に差したり、湯に入れて沐浴する風習を生み出した。