茶の湯日記6月

不傳庵 茶の湯日記

別れ

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 


 父、紅心小堀宗慶が亡くなった。四月二十四日午前四時四十四分の事であった。父であり、茶の道の師であり、遠州茶道宗家の家元としての私の模範でもあったが、この十数年は数寄茶人の大先輩として憧憬の気持ちを強く抱いていた。

 この一年ほどは、自宅において療養に努めながらも、宗家研修道場向栄亭で催す茶会などには、短い時間ながらも顔を見せていた。

 残念なのは、本格的な茶事を行なうまでには健康回復に至らなかった事で、父自身の茶事を、計画し日時を決めお客様にご案内するところまで進みながら、直前にとり止めるといったことが数度あった。それは、他の茶会とは違い、自分の茶事ともなれば、私に代理でさせるのではなく、あくまでも自身の手で、炭点法をし、濃茶を点てなければいけないという、父自身の誇りと使命感によるものであったと私は理解している。

 私にとっても今の私自身の茶の湯を、最も理解してくれる人でもあり、また率直な注意や指摘、指導してくれる唯一無二の人でもあった。そんな父をもう一度、私の茶の湯に招く夢は、叶わぬものとなってしまった。

 茶事ではなかったが、それに近い私の強い思いをもって取り合わせをしたのが、ちょ うど一年前の四月二十四日に根津美術館で催した、紅心宗慶宗匠の米寿を祝う会の茶会であった。茶会の主旨にのっとり主題を「親子」と「師弟」として行なった。これは茶の湯者としての私が最後に父に対して表現した茶会であった。

 その後、六月に米寿記念の「紅心 小堀宗慶展」を行ない、宗家としてだけでなく、 芸術家としての父を広く世の中に知って頂けたのではないかと思っている。この部分は、私は無論のこと、遠州流歴代はもとより、他の追随を許さぬところではないかと思う。

 昨年の秋の出版記念祝賀会が、全国から参加された多勢のご来賓の前に父が顔を見せた最後の時でもあった。その時に挨拶したスピーチは、秀逸であった。凛として品と格を備えた父本来の姿であった。そして少しのユーモアを交えて「次は卆寿ですから」と語っていたのが本当に悔やまれる。

 今年に入り正月三ヶ日は毎年の如く家族と共におせち料理を囲み、その後の点初め期間中は調子もかなり上向きであったが、二月以降に徐々に下り坂になっていた。何度か危機もあったが、その都度主治医の先生が驚く程、父は粘り強かった。

 四月に入り、其心庵宗明居士の五十回忌を終えた報告を聞いて少し安心したのであろうか。四月二十日位から意志は表わすが、言葉はかわさなくなった。その時私は、いよいよ父は、自分で旅立つ事を決めているのだと推察していた。そして二十四日の未明、その時は来た。大きな声で呼びかけると五回程口を動かしうなずいた。その後家族達にも二回うなずいて、さっと逝ってしまった。

 奇しくも月は違うが、父が名を継いだ遠州嗣男、大膳宗慶の命日である。父はまさしく不屈の粘りと武家の人間としての潔さを持った人であった。