茶の湯日記6月

不傳庵 茶の湯日記 

季節の変化の中で思うこと

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 あっという間に夏の到来である。3、4月の時期に気温25度以上が連日続くというのは、体調には厳しいものである。そしてその暑さの合間には、急に低温の日があったりして、いよいよバランスをとるのが難しい。「過ごしやすい」という美しい日本語が使用できる日々が本当に少なくなってきている。

 こういった自然現象の変化は、世の中の動向にも大きな影響があると思う。いま、私たちが毎日のように目にする政治・経済・芸能・スポーツなどの報道、ニュースでは、常に物事に対してのスタンスは白か黒、善か悪、是か非、勝ちか負け、イエスかノーといった場合がほとんどである。

 私はかつて海外にホームステイをしたとき、当時お世話になったホストファミリーや学校での友人たちと、日本の文化と西洋文化の違いなどについてたびたび話し合い、知らなかったことを学んだものであった。そこで知った違いとは、宗教の違いであり、人種の違いでもあり、そういったことから生まれてくる意見の相違であった。

 そしてその違いの一番の根本は、自然現象や気候、季節の変化の差異なのである。日較差(一日のうちでの最高気温と最低気温の差)の大きい地域ではやはり、物事に対してもはっきりした立場をとる人が多い。一方、春夏秋冬の四季の変化に富んでいる日本のような地域の人たちは、そこまでの激しさはないように思う。特にかつての日本を例にしていえば、季節と季節の間に、つなぎの日々があったりした。その気候の変化の中に、移ろいという言葉も生まれてきた。さらに加えていえば、日本語にはなにかはっきりしない、どちらにもとれる表現がたくさん存在していた。

 ところが、現在の日本は、前述のとおり、白黒、優劣、左右、の二極化が主になってきているように思えてならない。これは、グローバル化が進み、グローバルであることが、あたかもスタンダードであるべきであるという流れのうえに、さらに気候の劇的変化による影響であると、私は考えている。なにごとにも、曲げてはいけない真実や誠というものは必ず存在する。しかし、その真を生かしていくためには人間的に修練されていることが必須条件なのである。大切なことをしっかりと見据えていくことが、いまの日本人には必要なことである。