不傳庵 茶の湯日記
茶会を通して思うこと
遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実
新年明け早々から最初に行なわれる稽古照今点初め、如月に入って建国記念日の東
京茶道会招待茶会、二十五日の御自影天神供養茶会、そして弥生第二週日曜日の遠州忌茶筵と、茶会が連続して催されている。特に点初めについては六年前から西日本地域を中心として福岡においても行なっている。
さて、そういった茶会を催す側、つまり、お客様をもてなす亭主として私が考える
事や感じる事が、色々とあるものである。
考える事とは、茶会の主題であったり、道具組みであったり、点心や菓子等につい
てである。例年不動、必然の事柄もあり、また、その時々にぴったりの趣向を、茶会
の規模や時間帯、流れを前もって考える時が一番大変であり、また最も楽しい時間で
もある。道具組みも、自分の想いに見合った品々が揃えられるとより喜びが増すもの
である。
茶会当日までにほとんどの事が万端準備されていくのであるが、ただ一つだけ当日
に全てが決まるのが花である。これだけは、生き物であるが故、その日にならないと
わからない。しかし、想いがあれば、大体は叶うという事も付け加えておきたい。だ
から、客としてうかがった茶会に、心無い花を見ると、無性に悲しい気分になるもの
である。
感じる事の一番は、お客様の反応である。主客のやりとり、お客様の挨拶や言葉の
中で、本当に喜ばれているか、形式的なものであるか、意外によく分かるのである。
特に濃茶の席で、一服口にされ、まだ充分に味わっていないうちに「大変結構」と
挨拶される方もいらっしゃるが、じっくりと味わってから声をかけていただける方と
は、こちらの喜びも違うし、その後の話のはずみ方も違う。
大勢のお客様が同席される茶会では、この正客と亭主のやりとりで随分とその席の
雰囲気が変わるので、正客の役割は、やはり重いと言わざるを得ない。
従って、昔から「亭主は客の心になり、客は亭主の心になれ」という訓えは、実に
意味の深い言葉ということになる。
私たちは茶道を学びながら、実は人と人との交わりの有り方を自然に身につけてい
るのを再認識したいものである。

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