茶の湯日記11月

不傳庵 茶の湯日記 

名残りの心を大切に

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 


 今年も名残りの季節は瞬く間に過ぎていった。手前座の風炉には、鉄風呂が存在感を表している。鉄風炉には草の灰形がいちばん似合う。いつの時代に誰が決めたと明確ではないが、秋の深まりの雰囲気をかもし出している。半月形の瓦の向こう側に見える炭火の美しさと、全体を包み込む灰形の相性もぴったりである。鉄風炉は破【やつ】れと決まっているわけではないが、やはり少々わびたもののほうが似つかわしいようである。


 鉄風炉の下には、小板に変わって敷瓦がよく取りあう。とくに寸松庵【すんしょうあん】と呼称される織部焼の敷瓦は珍重されている。手前座左側に据え置く水指は、備前などの細水指。信楽や古髙取なども見受けることがあるが、よくこの中置のために生まれてきたという寸法のものがあると感心することもある。遠州公時代の瀬戸後窯や国焼の水差しには、この中置専門の細水指が多くつくられたと思われる。したがって、少なくとも遠州流では、流祖以来の中置点法が現在まで伝承されているといえるのである。


 この400年にも渡り、同じ所作、同じ道具、同じ置きあわせにて点法が形成されているというのは、日常的に茶道の稽古をしている方はつい忘れがちではあるが、じつはたいへんなことである。この意味は、単純に型があって、それをそのまま維持しているということではない。先達が初めてその点法を行った古に心を馳せていく気持ちが大切である。点法に宿る精神性を探求する志がその点法をいまに生きるものにしていくのである。


 さて、名残りのころの床の掛物には消息を使うこともある。消息、つまり文、手紙のことである。なぜ手紙をこの季節に使うかといえば、手紙は自分の用事を相手に伝えるだけではなく、自分自身の近況を知らせたり、逆に宛名の相手の現在の状況を尋ねるという目的がある。つまり、心を動かす、心情を探るといった部分が大部分を占めるので、名残り惜しむという人の心の移ろいを大切にすることと同じように感じられるからであると思う。近著『新・小堀遠州の書状』を読んでいただくとわかるが、遠州公の相手に対しての思いやりや気遣いというものが、その時代ならではのものとしてよく理解できるし、また、人の気持ちというのは、過去も現在も変わらないということがわかるのである。


 茶道を身の周りに感じるというのは、決して稽古するだけではなく、五感へのあらゆる刺戟であり啓蒙であるということを、あらためて考えていただきたいと思う。