茶の湯日記9月

不傳庵 茶の湯日記

蝉時雨

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 



 九月の声を聞くと、私の世代くらいまでは秋をイメージする人も少なくないと思う。実際には、昨今の温暖化の中、まだまだ残暑厳しいというのが本音である。しかし人間は、特に四季の移り変りと共に歩み続けてきた日本人には、頭の中に広がる想像力も大切なものである。まだまだ暑いと思うか、朝夕の風が幾分涼やかになってきたと思うかによって、季節の受け取り方が違ってくるのである。

 先月号は、亡父の追悼号として多くの方々から父を偲ぶ文章を頂戴した。私は実際にはあまりお話したことの無い同窓生の方々等の書かれた内容は、知らないこともあり、その時、父はこんな顔をしていたんだろう等々、その場の状況を思い浮かべたりもした。もっと多くの人たちにまた別の機会をもうけて、本誌で取りあげていただけると良いと願っている。

 さて、今年の前半は三月十一日以降、大きく変わってしまった。震災・原発・節電という日本を悩ませる大問題であっという間に時が過ぎてしまったと思う。加えて、今もって被災地の復旧や支援の停滞に対して、政府をはじめ国会議員の無策・無能ぶりに、私達国民は、怒りを通り越して無力感さえ覚える此頃である。今からでも、志の高いリーダーシップを持った人の登場を期待するものである。

 節電イコール猛暑といったイメージを重ね合わせたこの夏ではあるが、何故か、不思議な事に、蝉の鳴き声が、日中に響き渡る時季が、今年は遅かったと思う。地中にて六、七年、幼虫は成虫になるまでかかるが、地中の温度の上昇を感じると、地表にその姿を露わすわけである。今年は春の頃に比較的地中温度が低かったという事で、蝉が出てくるのが遅くなったと聞かされている。

 私達人間は、温暖化という言葉の響きや、エアコンを始めとする様々な電気製品を使うことによって、むしろ本当の体感が鈍ってしまっているのかもしれない。それに比べると自然の中で生まれている動物や昆虫たちの方は、常と変わる事のない、あるがまま、なのである。

 八月に入ってようやく、我が家の庭や近隣の公園などで、蝉時雨を聞く度に、情報や流行に流されやすい人間の弱さを感じるのは私だけであろうか。