不傳庵 茶の湯日記
徳翁と紅心
遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実
はやいもので、父、紅心が逝去して一ヶ月余りが経過した。この本が発刊される頃には二ヶ月が過ぎる事になる。父はこの一年、万全とは言える状態ではなかったが、私が出張等で家を空ける場合の出発や帰宅のおりに何げなく挨拶を交わしていた。その習慣が、今無くなってしまったという現実に直面し、本当に寂しく感じている昨今である。
さて、本年は祖父である十一世・其心庵徳翁宗明居士の五十回忌の年である。昭和三十七年六月二十一日が命日であるので、私自身も祖父の事を記憶している。
宗明は明治二十一年に東京で誕生し、二十二歳の時に、十世瓢庵宗有の逝去にともない、家督を継いでいる。遠州流は、十世宗有当時までは、全国各地においての出張稽古を行なっていなかったが、祖父は、祖母(宗吟大姉)と共に、積極的に地方出張に赴き、流祖遠州公時代から大名同士としての縁の深い城下町等を始めとする遠州流門人と交流を深めた。その結果が、現在の茶道遠州会の萌芽につながっていくのである。
人柄は、温厚篤実であると父や母から何度も聞かされており、実際、子供の頃に、祖父と話しをした私の記憶からも、そうであったであろうと思い出される。
父は人生の中でシベリア抑留というものが、最も厳しい体験であったと思われるが、祖父の場合は、関東大震災と太平洋戦争において、二度にわたり家屋敷を失うという苦難があった。さらに言えば、物資も不足している中で、大名家の末裔として、また家元としての体面を保つ事に大いなる苦労があったのではないかと想像に難しくない。しかしながら、その人柄ゆえに、枢密顧問官であった石黒況翁の後援を得て、東京における茶道界の発展に大いに貢献している。
門人には、三井泰山翁や、団伊能老など、財界の重鎮も多かった。大正時代の茶道界の大立者であった、益田鈍翁とも交流があり、鈍翁が宗明宅を訪問し、茶を振る舞った際の、礼状も残っている。ちなみに、そういった茶会の折の料理は、祖母が全てつとめていた。
父紅心は、そのような環境で育ったので、後になって、三井高大さんを始めとする、前述の茶人達の後を引き継いだ、数寄茶人の方々と堂々と、かつまた親密にお付き合いできたのであった。学生時代に、祖父が指導のため茶事にうかがっている時でも、下校帰りに、その方の家に呼ばれて薄茶だけ点法をしたといった話をよく聞いている。代点者は、とにかく黙々と薄茶を点てるばかりであるが、席中で大数寄者達の話す一言ひと言に大いに耳を傾けていたに違いない。現在では、なかなか味わう事の出来ない経験を、祖父と父は共有していたのは、うらやましい限りである。
今、残された私達は、そのような茶を新しく創り上げていかねばならないと改めて感じる次第である。

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