茶の湯日記7月

不傳庵 茶の湯日記 

大切なこと

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

日差しが、日ごと辛く感じる季節となってきた。熱中症などにも、老若男女問わず注意しなければならない。

 ひと昔前の日本人にとって、自然というものは、四季の変化の豊かさに代表されるように、ありがたい存在という感覚が強かったと思う。もちろんその一方で、台風、地震、火災、水害などの、ときとして非情なまでの試練も受けてきた。しかしそれはある意味、慢心や奢りに対しての警鐘と捉えることもできた。ところが最近の自然環境の激変は教育的に捉えられるほど甘くはなく、さらに厳しい側面が強まったような気がしてならない。これは人類による環境破壊に対しての大自然の怒りとしか思えないのである。私達は自然に対して、ただそこにいつもあるものという感覚ではなく、いつも注視し、環境を守る心遣いを常にもつべきであると気がつかなければいけないだろう。

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 さて今年に入って、茶道美術関連の展覧会がいくつも開催され、私も何ヶ所か鑑賞にうかがった。サントリー美術館「寛永の雅」展、三井記念美術館「大名茶人・松平不昧」展、ふじのくに茶の都ミュージアム「現代に生きる綺麗さびの世界」展、それに金沢で、金沢美術倶楽部100周年記念の県立美術館他二館で行われた展覧会などである。いずれも拝見するにつけ、小堀遠州の美意識の高さ、審美眼の厳しさ、先見性の素晴らしさを再認識させられた。

 金沢の高い文化性の礎は、加賀百万石の前田家の影響力が大である。三代藩主 利常公ならびに四代 光高公は遠州公の門人にあたる。したがって、前田家初期の収蔵品は遠州公の眼を経たものが多い。そこには、大々名としての威力に任せた収集もあったが、一方には綺麗さびの感性に叶ったものも見られて遠州公の指導を感じられる。

 松平不昧公は遠州公より100年余り後に誕生しているが、大名茶人として、その先達たる遠州公に対しての崇敬、憧れの気持ちが非常に強かったことが、その所蔵したものを見てよくわかる。無論、利休や、自ら学んだ石州流に対しての尊重もあるが、それを超える想いが遠州公にあったことはいうまでもない。
 不昧公の訓えの一つに次のような文がある。

「茶の湯はいかにも奇麗に いさぎよく さびたる中にも見所あるを本とす」

「時世のうつりゆきをわきまえず 一つ所に足を止めて移行を知らざるものは生涯の下手と申すべき也」

 これは正しく、遠州公遺訓「書き捨ての文」と同じ精神性であると思う。同時に、現代社会の人間の生き方にも通じるといえるのではないだろうか。