ご機嫌よろしゅうございます。
昨年に引き続き先月まで遠州公指導の茶陶をご紹介してまいりました。
今月から遠州公の旅日記として残る「東海道旅日記」に記される地の
今・昔をご紹介していく予定です。
遠州公は1622年9月43歳の時に上りの記、21年経て1642年64歳の時に
下りの記を書いています。
京都から江戸、江戸から京都までの旅路。
新幹線や飛行機を使って数時間で移動できる現在とは異なり、一日の移動時間約9時間半、
12泊13日という長い時間をかけて遠州公も旅をしました。しかしその道中を記す日記に
は、景色を愛で、旧友との別れや再会を想う心境が歌や詩でつづられており、
とても心豊かな旅であったことがわかります。
綺麗さびの日々
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駿府 遠州の名の由来
2019年11月15日 -
清見寺
2019年11月02日 -
古今伝授
2019年10月17日 -
富士の山
2019年10月16日 -
東海道旅日記「三嶋茶碗」
2019年08月23日
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ご機嫌よろしゅうございます。
今日は染付・祥瑞についてのお話しを
請来陶磁のなかでも最も多く伝世しているのが
古染付と祥瑞です。
古染付は明時代末期、天啓年間(1621~28)頃に、
また祥瑞は崇禎(てい)年間(1628~45)頃に日本
の注文によって景徳鎮の民窯で焼造されたといわれ
てきた染付陶磁で、日本からの注文によって焼造さ
れたといわれています。
遠州好みとして知られる祥瑞の鳥差瓢箪香合は、
上下の円窓の中に鳥が描かれており、鳥を捕獲する
鳥差を表しているとされ、松花堂昭乗の下絵で、
遠州公の意匠により景徳鎮へ注文されたものと伝わっています。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は阿蘭陀茶碗をご紹介します。
遠州公の時代には既にオランダからの
陶器が舶来品として入ってきており、
オランダへの注文に関しては長崎のおらんだ
商館の記録が残っています。
注文が盛んになるのは寛永年間(1624~44)
末頃からで、土型や木型を本国に送って作ら
せています。
遠州公の箱書のつく「おらむだ 筒茶碗」
は遠州公の好んだ高取や薩摩などの半筒茶碗
と同じ形に、小堀家の家紋である七宝文をあ
しらっています。
こちらはおそらく前田利常か堀田加賀守を通
じて注文したものと推測されます。
ご機嫌よろしゅうございます。
今日は御本茶碗のお話しを。
三代将軍徳川家光公が描いた立鶴の茶碗を、
遠州公が切形をもって注文したと伝えられる
「御本立鶴茶碗」とよばれるものが図柄と
器形がほぼ同じもので十碗ほど伝わっています。
又、小堀家に伝わる「夢の字」茶碗は、
遠州公が釜山窯に「切形」を送って注文を出し、
送られてきた素焼きに遠州自ら「夢」の字を書
いて送り返してと、二回の往復を経て生まれた
茶碗です。この茶碗の箱蓋表には遠州公の筆で
「新高麗」と書いてあります。
ご機嫌よろしゅうございます。
これまで遠州公ゆかりの茶陶をご紹介してまいりましたが、
遠州公が指導した茶陶は国内だけではありません。
オランダ・中国・朝鮮と海外の窯にも好みの茶陶を焼かせていました。
現在、茶会で海外の道具を取り入れることはよく行われますが、
江戸前期の茶会記にみると、染付・青磁など用いているのは
遠州公を始め武家茶人や僧侶で、利休以来の千家の茶の湯では
この種の茶陶はほとんど使われていません。
17世紀に海外から請来された茶陶の多くは武家社会や交易に
関わった人々の間で珍重され、茶道界全体に行き渡るのは
もう少し後のことになります。
今月は遠州公が指導した海外の茶陶をご紹介致します。