9月30日(金)能と茶の湯

2016-9-30 UP

9月30日(金)能と茶の湯
「比丘貞(びくさだ)」

ご機嫌よろしゅうございます。
今日は狂言「比丘貞」をご紹介します。

一人息子の元服親になってほしいと頼まれた老尼が、
自分の通称の「庵」をとって庵太郎(あんだろう)
と名付けます。
名のりも自分の比丘と、相手の家の通り字である
「貞」を合わせて比丘貞とつけ、祝言の舞を舞う
というあらすじです。
武家階級では元服の際、字アザナと諱イミナのふたつを名付ける
習いがありました。この格式のある名付けがゆるみ、
いわば「ごっこ」に近いようになった様子が描かれています。

老尼は烏帽子親を頼まれて悦びますが、
与えるべき諱をそもそも持っていません。
そのため比丘などとつけているところが
面白いところ。

この「比丘貞」の面に姿が似ていることから
遠州公が銘をつけたのが
瀬戸真中古窯茶入「比丘貞」です。
茶入の胴の締まった姿が、確かにユーモラスな
面の顔を想起させます。
遠州公の所持の後、数人の所有者の手を経て松平不昧が所持しました。

葛(くず)の花

2016-9-26 UP

9月 26日(月)葛(くず)の花

ご機嫌よろしゅうございます。

残暑厳しい日が続きますが、野山に咲く花は
次第に秋らしくなってくる頃

秋の七草については以前メルマガでご紹介
しましたが、今日はその内の一つ
「葛の花」についてご紹介します。

葛の花は、万葉の時代から愛されてきました。
紫紅色の愛らしい花を葉の根元につけ
風に葉をなびかせる様子は和歌にも
詠まれてきました。

その根は良質のデンプンが得る事ができ、
くず粉として珍重されました。
また、根には解熱効果があり、現在でも
葛根湯の名で風邪薬としてお馴染みです。

もともとは土着の原住民だった「国栖(くず)」
が葛粉を売りにきたことから、
その名がついたとされています。

「姥捨(うばすて)」

2016-9-23 UP

9月23日(金)能と茶の湯
「姥捨(うばすて)」

ご機嫌よろしゅうございます。

今日は、先週ご紹介しました謡曲「姥捨」
にちなんだ銘の茶碗をご紹介します。

「姥捨」は姥捨伝説を題材にされていますが、
その悲劇を主としているというよりも、
月光の下で舞う老女の遊舞、人の世界を脱し
浄化された美の世界を表しています。

黒楽茶碗「姥捨黒」左入作
楽家六代の左入が四十八歳の時に赤黒二百碗
連作したうちの一つで、穏やかな作風の黒楽です。

赤楽「姥捨」九代了入作
柔らかな趣の赤茶碗で、赤黒200碗の連作「了入二百」
の一碗です。

また本阿弥光悦の黒楽にも「姥捨」の銘を持つ
茶碗があります。

老婆の魂を浄化する姥捨山にかかる名月の清らかな光
「姥捨」という銘は、そんな情景を連想させます。

2016-9-20 UP

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9月20日(火)華甲記念茶会及び祝賀会

9月17日土曜日
前日までのぐずついたお天気がうそのようにすっきりと晴れ、
宗実御家元の華甲を祝う茶会及び祝賀会が催されました。
茶会では東京の直門二席を始め、お家元が直接出張稽古を
されている奈良 福岡 名古屋 大阪 金沢の門人の各席が

趣向を凝らした道具組でお茶を差し上げました。
祝賀会ではこれまで御家元が好まれた袱紗が飾られ、
袱紗に描かれた一年を思い思いに眺める姿が見られました。

鏡開きには遠州公が葡萄酒を茶の湯に用いたことから

赤ワインが用意され、一同乾杯。
また根津美術館理事長をはじめ、22名の錚々たる方々が

発起人として名を連ねられ、

「不傳会」が発足することが発表されました。

国内外にむけ、御家元の更なるご活躍の場が広がることとなりました。

田中支部長はじめ、東京支部一丸となって開催された

祝賀会には、参加者それぞれの御家元への感謝と

尊敬の想いに溢れ、温かさに満ちた時間が流れていました。
最後に御家元の和歌が披露されましたので、ご紹介致します

茶の湯とは

楽しみ学び生き甲斐と

傳えることぞ 我が道と知る

御家元から教えていただく茶の湯の楽しみ

それを自らの生き甲斐として今後も茶の湯の道に

精進していこうと心に思える一夜でありました。

お家元華甲記念茶会

2016-9-17 UP

9月 17日(土)お家元華甲記念茶会
ご機嫌よろしゅうございます。今日9月17日は宗実お家元の誕生日です。満60歳を目出度く迎えられ東京支部による記念茶会が催されます。平成十三年に家元を継承されて以来、全国の門人の指導、海外への文化交流など精力的に活躍されてきました。茶道以外でも未来を担う子供達への指導にも力を注がれています。今年のベストファーザー賞も受賞、昨年の9月にはQVC千葉ロッテマリーンズVSオリックスの始球式をおこない、ミスインターナショナル世界大会の審査員も今年で3年連続努めておられます。ご多忙な日々の中にあっても、御家族との時間を大切にされ、また門人一人一人の声に丁寧に耳を傾けられるお姿は、我々遠州流茶道を学ぶ者に日々の日常をいかに過ごすか、己の進むべき道を物言わず示してくださっているように感じます。これからも益々のご健勝、ご活躍を期待しますとともに、私ども門人に御指導願い申し上げます。

9月16日(金)能と茶の湯

2016-9-16 UP

9月16日(金)能と茶の湯
「姥捨(うばすて)」

ご機嫌よろしゅうございます。

昨晩は中秋の名月、皆さんはご覧に
なれましたでしょうか?
今日はその中秋の名月にちなんだ
老女物の演目「姥捨」をご紹介します。

ある日都の男が、中秋の名月を眺めようと、
名所である更科の姨捨山を訪れます。
夕方、眺めを楽しむ男の前に女が現れます。
男の問いかけに対し、
昔この山に捨てられた老女が

我が心慰めかねて更科や
  姨捨山に照る月を見て

と詠んだことを教え、
自分もここで捨てられた者だ、
今夜は月の出と共に現れて夜遊を慰めようと
言って姿を消します。
やがて女は老女の霊として現れ、月を愛で、
仏説を語り、昔を懐かしみ舞を舞います。
夜が明けて都の男が帰ると、またただ独り
山中に残されるのでした。

9月12日 (月)中秋の名月

2016-9-12 UP

9月12日 (月)中秋の名月

ご機嫌よろしゅうございます。

秋の夜長
月を眺めるのにちょうど良い季節となりました。
今年の中秋の名月(十五夜)は、9月15日。
しかし、月の満ち欠けはきっちり1日単位
ではないので、中秋の名月(十五夜)=満月
とは限りません。

十五夜が満月だったのは最近でも2013年。
次回は2021年だそうです。
昨年は、中秋の名月と満月の日が1日遅れの年
でしたが、今年は9月17日が満月となります。
つまり中秋の名月から2日後が満月というわけです。
とはいえほとんどまん丸のお月様を中秋の名月で
見る事ができそうですね。

9月9日(金)能と茶の湯

2016-9-9 UP

9月9日(金)能と茶の湯
「三井寺」

ご機嫌よろしゅうございます。

先週は「三井寺」をご紹介しました。
三井の名鐘の縁によって再び巡り会うこと
が叶った母子。
離ればなれになった親子の心情を描く上で
琵琶湖上に輝く名月と湖面に響く鐘の音を配し
非常に美しい謡です。
また三井寺は近江八景「三井の晩鐘」でも有名です。

この三井寺にちなんだ茶の湯道具として
挙げられるのが利休作竹一重切花入「園城寺」です。

三井寺は通称で、正式には長等山園城寺といいます。
天正十八年の小田原攻めに同行した利休が、
伊豆韮山の竹で作った3本の花入の1つとして、竹の正面に樋割れがあることから
園城寺の鐘のひび割れに通じて銘を付けられたといわれています。
これを少庵の土産として持ち帰り
後に松平不昧公の所持となり現在は
東京国立博物館の収蔵品となっています。
【告知】

9月 5日 宗家道場の床の間拝見

2016-9-5 UP

imagepng9月 5日 宗家道場の床の間拝見

ご機嫌よろしゅうございます。

今年の夏は梅雨が長く、天候も不順な日が

多かったような気がしますが、

次第に秋の気配がしてきました。

さて、今月の床の間です。

床 紅心宗慶宗匠筆 掬水月在手

花 被綿菊

花入 手桶

今月の掛物は唐の詩人・于良史の詩で、

「花を弄すれば香衣に満つ」と対句になります。

「水を両手で掬うと、その水に月が映り、

花を手折れば花の香が衣服いっぱいに染み込む」

という意味です。

大徳寺・妙心寺派の禅の直系の祖である、

虚堂智愚禅師が、この句を禅的に解釈して、

提唱に使った為、禅語として愛誦されるようになりました。

花は重陽の節句にちなみまして、被綿菊を飾っています。

こちらは以前ご紹介しましたので、

2014年9月9日のメルマガをご参照下さい。

9月 2日(金) 能と 茶の湯

2016-9-2 UP

9月 2日(金) 能と 茶の湯
「三井寺」

ご機嫌よろしゅうございます。

長月の異名を持つ9月に入りました。
秋の夜長に月を見上げる機会も増えます。
さて、今日は中秋の名月にちなんだお能
「三井寺」をご紹介します。

三井寺では、八月十五日(旧暦)を迎え、
寺の僧たちは月を見ようと待ち構えています。

中秋の名月を鑑賞していると、物狂いの女が現われます。
その女は行方不明となった我が子・千満を探す
旅を続けていたのでした。
京都清水寺で見た霊夢によって三井寺を目指し、
女人禁制の寺に入り込みます。

女は三井寺の鐘の来歴を語り、鐘を撞き始めます。
三井寺の僧の弟子となっていた千満は、
師僧を通じて女の出身地を聞き、声をかけます。
女と千満は互いに母子だと分かり、涙の対面
二人は故郷へ連れ立って帰っていくのでした。